2015年9月10日木曜日

『 ピアニスト・野島稔が語る 「音楽と音楽家」 』 レポート

 

9月6日(日)、来年の第6回仙台国際音楽コンクールピアノ部門の審査委員長を務めるピアニスト・野島稔先生のトークイベントに参加しました。このイベントは第6回仙台国際音楽コンクールに向けた一連の関連事業の一つです。次回のコンクールまであと8ヶ月と少し、これからは毎月の様に関連事業が行われ、コンクールの雰囲気が高まっていきます。


第6回仙台国際音楽コンクール関連事業
 SIMC@交流シリーズ
ピアニスト・野島稔が語る 「音楽と音楽家」

日時: 2015年9月6日(日)14:00~15:30
     
場所: 日立システムズホール仙台 交流ホール
     (仙台市青年文化センター)
出演:
 お話 野島稔
     (仙台国際音楽コンクールピアノ部門審査委員長)
 ナビゲーター 吉川和夫(作曲家/宮城教育大学教授)

この日の聞き手(ナビゲーター)は作曲家の吉川和夫先生(宮城教育大学教授)。巧みな質問によって、野島先生の音楽人生や音楽観、教育観を引き出されていました。


話の最初は野島先生とピアノとの出会いから始まりました。野島先生のご両親は音楽家ではなく、お父様は鍼灸の医師でしたが、ハイカラで、かつ何かを始めたら真剣にやることを徹底された方だったそうです。そんな環境の中、3才3ヶ月で近所の先生に就いてピアノを始められた野島先生は、藝大で声楽を専攻していた姉のレッスンに付いていってピアノを弾いたのがきっかけで、7歳から井口愛子先生に師事することになりました。井口先生はとても怖い先生で、野島先生はその体を張った音楽教育と神経の鋭さに圧倒されたとのこと。後年、井口先生の70歳(?)の祝賀食事会の前、同門の中村紘子さんが一人で行くのが怖いということで野島先生と事前にホテルで待ち合わせすることを懇願されたというエピソードも紹介されました。野島先生は体を震わせて怒る井口先生を「体が持たない教え方」と形容されていましたが、後年の留学体験の折、井口先生の素晴らしさを実感することになったとおっしゃっていました。

その後井口先生の考えと紹介に基づき、野島先生は1966年からモスクワ音楽院に留学され、レフ・オボーリンに師事することになります。当時は東西冷戦の真っただ中、食事や練習場所の確保に追われる学校生活が始まりました。でもモスクワ音楽院のレベルは素晴らしく、2年半、野島先生は夢中で練習に明け暮れたそうです。当時、モスクワ音楽院ではショスタコーヴィチが教授をしており、オイストラフ、ハチャトリアン、コンドラシン、ギレリスが出入りしているという凄い時代。師のオボーリンの記念公演の後、楽屋の前で入ろうかどうか躊躇している学生の一人だった野島青年の背中を通りかかったオイストラフが押して、楽屋に導いたそうです。野島先生はオイストラフに背中を押されたことが今でも自慢と嬉しそうに話されていました。

オボーリンのレッスンは自分ではあまり弾かず、学生に演奏のヒントをコメントするスタイルだったそうですが、たまにご自身で弾くのを聴くと、あまりの素晴らしい音に驚愕したとのこと。オボーリンの音に対する教えは「鍵盤をタッチするイメージは、パンを作る時イースト菌が発酵して広がっていく感覚で」というものでした。オボーリンは野島先生にメソッドを勉強する必要はなく、曲をどんどん勉強しなさいと言われ、ここでも野島先生は井口先生の偉大さを知ることになりました。

ここで、オボーリンによるバッハの演奏がCDで流されました。野島先生も改めて聴いて、音の一つ一つに説得力があり、その音楽に人柄と高潔さが表れていると評されていました。オボーリンは音楽院で特別の地位を占め、つつましやかな人格から多くの人の愛情と尊敬を得ていたそうです。

野島先生の留学時代、ソ連ではリヒテルの絶頂期。ピアノの学生は皆リヒテルに夢中で、その白熱的で強烈な演奏に魅せられていました。野島先生もそのライブに参加して、演奏に愕然としました。音楽はこれほど人に感動を与えられるものなのかと驚き、宿舎に帰る45分間の道程はだたボーっと歩くのみだったそうです。

次にオイストラフとオボーリンによるベートーヴェンのクロイチェルソナタの第1楽章をCDで鑑賞しました。野島先生は、ドラマチックにやればできるこのソナタを純音楽的に演奏し、音楽そのものに語らせていて、2人の偉大さが真に分かると評されていました。私はこの演奏を聴いていて、楷書的に一つ一つの音を大切に弾いていくスタイルに、先月来仙されたアンナ・サフキナさんの演奏を重ね合わせていました。そう言えば、サフキナさんはオイストラフの孫弟子。ロシアの音楽教育の伝統が彼女にしっかりと受け継がれていると実感したひと時でした。

話は1969年、野島先生がヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールを受け、第2位入賞された時のことに移りました。その時の課題曲の多さはギネスブック級ということで、先生が想い出されただけでも以下の様に莫大です。

予選
バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、リスト、ショパン、新曲

第2次予選
ブラームスの室内楽、バルトーク、プロコフィエフ、ラヴェル、ドビュッシーの中からステージに上がって初めて、どれを弾くか知らされる。

決勝
コンチェルト(ベートーヴェン4番、ブラームス1番、ラフマニノフラプソディー、プロコフィエフ2番から選択)

これはコンクールの主、クライバーン氏の意向で、受賞したら即プロとして通用する様にとの狙いで設定されたもので、野島先生は基本のレパートリーを勉強する目的でこのコンクールを受けられたそうです。そして翌年、野島先生はカーネギーホールデビューを果たされます。その時は若く、大変なことと思わなかったそうですが、実はデビューの出来が決定的に大切だったと後で知ることになりました。舞台ではモーツァルトを成功裡に弾き、聴衆から温かい拍手を受けられたとのことでした。

続いて野島先生がリストを弾いたCDが流されました。先生は基本的に録音はNOですが、この時はレコード会社が非常に熱心で録音する気持ちになられたそうです。実際、野島先生は自分の録音をあまり聴いたことはないし、自分の出演したテレビを見ても数秒で切ってしまうとのことです。今回ご自分の演奏を聴かれて、オボーリン氏にとても大切なものを受け取ったというコメントをされました。私もこのCDを聴いて、テクニック的にも完璧なのに加えて、音一つ一つに精神的なものが宿っていると感じました。後にシューマンのコンチェルトを弾いた時、指揮をしていたバルシャイに演奏がオボーリンに似ていると言われ、すごく嬉しかったそうです。

次は作曲家、間宮芳生と松村禎三のピアノコンチェルトを初演したお話でした。最初は間宮芳生から初演依頼を受けましたが、外国に滞在していたので、楽譜だけが頼りの準備期間だったそうです。前例がなく、音符だけが手掛かりという初めての経験で、初演はN響との協演で小高賞を得ました。東芝EMIと録音もしました。それがきっかけで松村禎三からもピアノコンチェルトの初演依頼があり、引き受けられました。楽譜は本番2週間前に送られてきて、毎日のリサイタルの後、最寄のヤマハやカワイで午前3時まで準備のため練習するという、まさに若いからできたこととおっしゃっていました。2人の異なるタイプの作曲家からピアノコンチェルトを献呈されるという素晴らしい体験だったとのことでした。

話は現在のことに移りました。今野島先生はいくつかのコンクールで審査委員を務めておられます。中でも横須賀のピアノコンクールは野島先生の名前が入っており、審査委員長を務めておられます。最初名前を入れることには抵抗感があったが、押し切られたそうです。この後述べられた野島先生のコンクールに対する考え方や若い音楽家に寄せるメッセージを筆者のメモからまとめてみました。

この歳になると若い人を応援しなければという気持ちを持っています。本当に良い才能は私達が育てなければと思います。若い人は不安定なので、その才能を見出し、応援する必要があるのです。しかし、素晴らしい演奏家でも審査するためには経験が必要だと思います。審査委員を引き受け始めた若いころはコンテスタントの演奏を聴いて、早めに見切りをつけていました。でもそれは審査委員として望ましくないことでした。演奏を聴いて、そのコンテスタントがその後どう変わっていくか、その可能性を見極められなければなりません。その人の良いところを見つけ、数年後の姿がわかるようになるためには審査委員としての経験が必要なのです。

今、日本の若いピアノミュージシャンは皆さん、すごく良く弾けます。指の動きも難しい曲を弾けるレベルになっています。ただ、ピアノだけを勉強しているのではいけません。ピアノ曲は音符も多く、指揮者のように全て自分でやる要素が多いです。単にパッセージを弾けているだけではだめで、演奏に目的を持ち、それを自覚しなければなりません。その為に他の分野の音楽を聴く、協演する、音楽以外の分野に触れることが必要です。それが後になって効いてくるのです。それまでやってきた勉強の成果が出るベートーヴェンやバッハでは良い演奏ができるのは中年以降で、若い時には難しいと思います。だから、若い時に他のことに多く触れることは大切です。

今でも長い時間の練習を欠かさないという野島先生。学長をしておられる東京音楽大学の練習室で時を忘れ練習をしていて、心配した守衛さんから深夜、電話をもらってしまう事もあるそうです。このような素晴らしい野島先生率いる審査委員団が来年、どんな才能に満ちた原石を発掘するか、本当に楽しみに思えた一日でした。

(掲載写真は仙台国際音楽コンクール事務局提供)


広報宣伝サポートボランティア  岡

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